「大弁は訥なるが如し」から学ぶ、教える上で最も大切なこと

コラム

家庭教師先の最寄駅にあるステーションライブラリー。気軽に本を借りられる便利な空間で、ふと目に留まったのが「中国古典、一日一言」という本でした。

その中にあった一文、「大弁は訥なるが如し(たいべんはとつなるがごとし)」。

意味は「しゃべり過ぎは百害あって一利なし」とのこと。なるほど、深い言葉です。

そして、この言葉は、私たちの「教え方」にも深く通じるものがあると感じました。

「分かりやすい」だけでは「できる」にならない

生徒に「分かりやすい」と感じてもらう授業は、確かに大切です。しかし、分かりやすい授業が、必ずしも生徒が「できるようになる」とは限りません。

プロ家庭教師としての経験の中で、生徒が最も成長し、成果を出すのは、決まって先生が黙っている時間なのです。

考えてみてください。誰かから聞いて「なるほど」と思った知識よりも、自分で悩み、試行錯誤して、やっとの思いで手に入れた知識の方が、ずっと深く身についている記憶はありませんか?まさに、あの原理です。

ついつい奪ってしまう「失敗の機会」

教師という仕事をしていると、どうしても知識が多い分、生徒が少しでも立ち止まると、すぐに答えやヒントを与えてしまいがちです。

「その道は遠回りだよ」「そこは行き止まりだ」「危ないからこっちだよ」と、良かれと思って先回りしてしまう。

しかし最近、この**「失敗をさせない」という行為は、実は生徒にとって良くないことなのではないか**と感じるようになりました。

「失敗の機会」を奪われた先に待つもの

「練習で失敗する機会」を奪われ続けると、人はどうなるのでしょうか?

明確な答えは分かりませんが、私は「失敗を極度に恐れる」ようになるのではないかと推測しています。

「間違えるのが怖いから、わからないことにしてしまおう」と、質問することをためらう生徒が多いことが、その理由の一つです。

大切なのは「間違えない」ことよりも「間違えた時にどうするか」

私は、練習こそ死ぬほど間違えるべきだと考えます。そして、間違えた時にどうすれば良いのか、その対処法を学ぶべきなのです。

「本番で絶対に間違えるな!」とプレッシャーをかけるよりも、「どうせ間違うんだから、間違えた時にどうすれば良いかを考えよう」という姿勢の方が、はるかに応用が利くのではないでしょうか。

ということで、私はこれからも、生徒が壁にぶつかり、悩み、もがき苦しむ時間を大切にする「悪い大人」であろうと、改めて決意したのです。

ちなみに、「大弁は訥なるが如し」には前後の文があります。そちらもまた、深く考えさせられる言葉ですので、もし興味があれば、ぜひ調べてみてください。

まとめ

・練習では進んで間違えるべし
・「間違えない」より「間違えても直せる」方がいい
・指導者は「間違える機会」を奪わない

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