大弁は訥なるが如し
「中国古典、一日一言」
という本を、家庭教師先の最寄駅。
本棚で見かけました。
聞いてみるとステーションライブラリーというらしく、
好きに借りて好きに返せばいい、とのこと。
便利ですね。
さてさて、今回はこの本の一文
「大弁は訥なるが如し(たいべんはとつなるがごとし)」
について。意味がわかりますか?
言葉の意味
「しゃべり過ぎは百害あって一利なし」
ということらしいです。
なるほどなぁ、と。
これは教え方にも通じるものがあるな、と感じました。
教え方との繋がり
聞いていて「わかりやすい」授業というのは、
あくまでわかりやすいだけで
「出来るようになる」とは限らないんですよね。
実際、たった5年のプロ経験ですが、
生徒が一番伸びて成果を出す時は、
決まって、先生が黙っている時なんですよね。
人から聞いて「なるほど」と思った知識よりも、
自分で悩んで試行錯誤してやっとの思いで
手にした知識の方が身についていた記憶ありませんか。あの原理です。
失敗の機会を奪わない
教師業をしていると、
知っていることが多いせいか、
ついつい生徒が悩む前に
先生側が口を出してしまうことがあります。
・この道を通ったら回り道になる
・この道は行き止まり
・この道には落とし穴がある
などなど
色々見えてしまうからこそ、
失敗する前に助けてあげたくなる。
でも、この「失敗をさせない」というのは
実はすごく悪いことじゃないかな、と最近思います。
失敗の機会を奪われると?
「練習で失敗する機会」を奪われ続けると人はどうなるか。
答えを知っているわけではありませんが、
「失敗を極度に恐れる」ようになるのではないかと推測しています。
「間違えるのが怖いから、わからないことにしてしまおう」
と、質問に答えたがらない生徒が多いというのだけが理由ですが…
「間違えない」より大事なこと
練習でこそ、死ぬほど間違えて
間違えた時に直す方法を知るべき
だと僕は考えます。
「本番で間違えるな!」よりも
「どうせ間違うから、間違えたら直そう」
の方が応用効くと思いません?
ということで、
「今後も生徒を悩ませ続ける悪い大人になろう」
と決意を新たにした話。
ちなみに
題名の「大弁は訥なるが如し」には前後に文があります。
こちらも心惹かれる文章ですので、興味があれば是非。
まとめ
・練習では進んで間違えるべし
・「間違えない」より「間違えても直せる」方がいい
・指導者は「間違える機会」を奪わない
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